会社の生い立ちと鉄道信号の関わり
当社は、昭和24年4月に初代吉永春次が個人会社「吉永組」を起こしたのが起源です。また、個人会社を立ち上げる契機は、前年の大水害により長崎県早岐駅構内が水没し、半年をかけて復旧させた手腕と業績が評価されたことによります。
当社は、当時から鉄道信号保安設備に深く関わってきました。
当時の信号保安設備は機械式信号機に代表され、コマと呼ばれる切欠きの入った四角の鉄棒を組み合わせることで連動を実現していました。
当社は、吉永春次の下で機械式信号機の技術、技能を蓄積していきました。
時代は移り、やがて機械式信号機はリレーシーケンスを駆使した継電連動装置へ、更に電子連動装置へと変遷していきますが、機械式信号のノウハウは転てつ機や分岐器の機械部分に未だ残っています。従って、蓄積してきた機械式信号機の技術・技能が生きる転てつ機や分岐器周りの工事は、当社が最も得意とするところです。
当然、時代が移るにつれて技術内容も変わりますので、当社も技術習得に努めております。したがって他の信号保安設備に疎いというのではなく、日本に機械信号の現役の技術者が居なくなった現在でも、当社にはそのノウハウがまだ息づいているということです。
信号工事から技術開発へ
当社は昭和24年以来、信号保安設備の施工会社として工事に関わってきました。その経験の中から、HP式レールボンドや銀ろうレールめっき工法の着想を生み出しました。そして施工側の目から、工法確立へ向けた技術開発支援を行ってきました。
これからも信号保安設備の安定稼働という視点から新しい技術を生み出せるよう努めてまいります。